氣づきは成長の証
今日は急に風が吹いて寒いし、
雨予報じゃなかったのに雨。
寒いから夜は鍋にしよ。
ココ最近、氣づきがよく起きる。
昨日の氣づきが衝撃的すぎて
アワワとなっておりました。
だからまったりしつつ、
とにかく眠くて、
寝ても寝てもまだ眠いzzz
潜在意識の書き換えラッシュです。
人は眠っている間に
情報の整理をしています。
過去の思い込みでつくった
価値観が崩壊する度に、
わたしは眠りに入るのです。
こどもの頃からよく寝る子で、
今もよく寝ています。
育児中の寝れない時が
一番つらかったなぁ。。(懐)
自分以外の全てのもの。
それが問題だと感じることって
ありますよね。
何かを大事に思うことで、
「こうあるべき」
という思いが出てくることは
よくあることです。
それはそれでも構わないのですが、
ちょっと違う目線での観方について
お話していきたいと思います。
内容がドンドンマニアックに
なってきているので、
理解できなくても大丈夫。
読むだけ読んでおいてくれれば、
あなたのタイミングの時に
「そういうことだったのか!」
と腑に落ちるタイミングが必ずきます。
では、本題に入りましょう。
あなたが誰かに対して
「このままで大丈夫なのか?」
と問題視しているとします。
そして私が伝えたいことは、
他者に問題があると感じた時、
それを自分自身の問題として
捉えてみませんか?
という提案です。
その前に、
まず前提として、
数点お伝えしておきます。
一人一人価値観が違うから、
あなたにとって問題と観えることが
あなた以外の人にとって
それが問題になるとは限らない。
ということ。
そして、仮に
それが問題だったとして、
それは本人の問題であり、
他者は介入できないということ。
もっと付け加えると、
他者の問題に影響を与えたいのなら、
自分自身がお手本となることくらいしか
出来る事はないということ。
です。
あなたの現実に現れる
問題と感じる出来事は、
他者に対して感じている
問題だったとしても、
全て自分の問題であるという
認識が有効です。
ここ、わかりますか?
伝えづらいので、
具体的にお伝えします。
我が子に問題を感じるとします。
不登校とか、わかりやすいです。
不登校は、こども自身の問題です。
学校に行くのか?行かないのか?
決めるのはこども自身の選択です。
そして親が
「不登校をどうにかしないと!」
と思うこと。
↑
ここ、氣をつけるポイントです。
どこが問題なのかわかりますか?
「学校には行くべき」
という親の決めつけ。
このあたりが問題です。
不登校=学校に行かないこと
は、こどもの課題です。
学校に行かなければいけない
は、親の決めつけです。
親が向かい合う課題とは、
「学校に行かなければいけない」
というジャッジがあると氣づき、
それを外すタイミングと氣づくこと。
又、こどもはそれに氣がつかせようと
(親を目覚めさせるために)
不登校という行動をわざわざ
起こしてくれているかもしれないのです。
こどもは、親を育てるために
生まれてきてくれると
私は思っています。
例えどんな失敗をしたとしても、
未完成な親を許してくれる大きな器が
こどもにはあるのです。
あなたが親を許したように
あなたの子もあなたを許してくれる。
話を戻します。
学校に行かなくても、
成功している人っていますよね。
天才と言われている人の多くは、
偏りのある人です。
学校に行っていた方が
得なことも沢山あります。
逆に、学校に行くことで
潰されることも沢山あります。
どちらが正解とかではなく、
自分に合った方に進めばいいと
私は思うのです。
大切なことは、二点。
人の問題に介入しない。
そして問題と感じることは、
全て自分の課題である。
ということです。
他者を通して、自分を観る。
自分に還るのです。
この世界に問題などありません。
ただ今があるだけ。
今を生きることに集中すれば、
問題は問題でなくなるのです。
最後に。
私が完璧なわけではありません。
ひとつ出来るようになると
またその奥に氣づく。
それができるようになると
またその奥に氣づく。
ということを繰り返しています。
それは
「何もできていない自分」
と遭遇することでもあるので
私もその度に一喜一憂しています。
「また できてなかった」
と氣づきとともに落胆もするのだけど、
そこで終わりにしないのです。
以前の自分には氣づけなかったことに
氣づけたこと。
これは成長の証。
進歩しているのだと感じていいのです。
自分責めしても何も変わらない。
氣づきに感謝をしていると、
奇跡が起きるのだから。。
では、今日はここまで。
今、この瞬間をたのしもう❤
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