自分らしく在ること
人は自分らしくあることで
豊かな道へと導かれる
あるがままに還る
それだけでいいのだけど、
自分を偽らずにいることは単純で
また難しくもあり
子という役割から始まり、
学生、社会人、母親・父親、役職など
それぞれの役割に相応しい
立ち振る舞いを社会に求められる。
世間に見せる顔
ペルソナ
こうあるべきという殻で自身を覆い
あるがままの自分を隠すことは、
特に珍しいことではありません。
社会に合わせるためにつけた仮面
それを外すことが
あなたの幸せと直結しています。
仮面を外すことは怖くとも
幸せはその中にのみあるのですね。
偽り続ける苦しみと
自分を取り戻すための恐怖
どちらも苦痛を伴うけれど、
得られるものに雲泥の差があるのです。
わたしはいつも笑っていた。
愉しいときに笑うだけならいいけど、
笑いたくないときも誰かの為に
とりあえず笑って 誤魔化す。
無意識に感情を偽り
その場がうまくまとまるようにと
多くの人に合わせていたのです。
するといつの間にか
何を感じているのか自覚できず、
更には五感が壊れる経験をしました。
人に合わせて生きる資質がないのに
無理して人に合わせ続けた結果
感情や五感が狂ってしまったのです。
この経験はとてもツラかったけど
ブレイクスルーが起きたのは
この経験のお陰です。
苦しみを超えた先に 光はある
まさにそれを経験したわけです。
人にはできることがあり、
できないことがあります。
自分にできることを明確にし、
できないことは諦めて人にお願いし
できることは積極的にやってあげると
スムーズに循環していきます。
自分に鞭打って追い込むのは
もう古くなった生き方
無我夢中
無我とは、
エゴ(我.ガ)のない状態のこと
我(ワレ)を無くして、夢うつつ…
夢中になって
氣がついたら朝だった!!
という生き方に、鞭は必要ないですよね。
時間を忘れて没頭できること
集中する歓びを思い出す。
自分らしく在るということが
生きていく上で重要であることが
伝われば幸いです。
そして今日はもっと昔
幼少期の話をしますね。
その頃のわたしは
よく怒っていました。
プンプンプリプリ怒っていて
写真はいつも不機嫌顔
まー、あんな顔してたら
大人は迷惑だろうし
「なんとかしないと!」
と思われても仕方ないなーと
思い返します。
そうは言っても、
理由があって怒ってたのです。
わたしは納得のいく説明がなくて
「それをやるべき理由は?!」
と説明不足に対して怒ってました。
(それだけでもないけど)
言うことに従えと命令するだけでなく
きちんとした理由をわたしは知りたい。
それをすべきと言うのなら
押し付けるのではなく
論理的に説明して欲しかったのです。
しかし残念なことにその氣持ちを理解し
受け容れてくれる人はおらず、
すごーく孤独を感じていたのを
今もしっかり覚えています。
「こども扱いするんじゃねー!!」
身体は完全にこどもだったけど(笑)
そんなことを心の奥で思っていました。
(そういえば、油断すると
生意氣だとよく言われてたなw)
心を満たすのに必要なものは
本当に人それぞれ
いちいち説明されるのウザい
って人もいるし、ニーズは様々です。
心が何を求めているのか?
大切にしているものは何なのか?
それを明確にしておくと
いいかもしれません。
残りの人生を彩り豊かにするのに
何が必要なのか一度考えてみませんか?
あなたがこどもの頃から
好きで好きでたまらないもの
これがあれば幸せなの♪
というものを思い出してください。
それは物である必要はありません。
・歌うこと
・話すこと
・踊ること
・絵を描くこと
・瞑想すること
・好きなものを集めること
・メイクやオシャレすること
・ライブにいくこと
などなど、無限にあります。
幸せになれるお氣に入りに囲まれた部屋
とかもいいですよね。
人に変だと言われても
自分が好きならいいじゃない。
(別に変じゃなくていいけどw)
それで幸せ感じられるのだから
人と同じじゃなくてもいい。
わたしはそう思うのです。
実を言うと、
本当に心の底から愛するものが
意外なもの過ぎて好きだというのを
隠してしまったのはわたし
今、それに氣づく度に承認しているので
ドンドン変化するかもですが
わたしの変わりっぷりも
愉しんで貰えると幸いです♪
あなたが思っているセルフイメージを
疑ってみてください。
それは他者から
与えられたものかもしれない。
では、今日はここまで。
追伸:お氣遣いのメッセージ、感謝です!
止まっていたことも
これから動かしていきますので
宜しくお願い致します。
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