自分軸と他人軸──対極を消さず、共に在る
カタカムナ国學講一期生
数秘術鑑定師の三島藍です。
氣づけば 氣づくほど、
自分の足りなさに氣づく。
真理を求めれば求めるほど、
未熟さに氣づき、それを受け入れ、
そして謙虚さが生まれる。
聖人たちの言葉に傲慢さはなく、
深い謙虚さを感じるのです。
慎ましく在れるのは、
自分を完璧ではないと受け入れているから。
だから他者の足りなさに寛大である。
そんなことを思っていました。
○主を自分に還す
自分の状態に氣づく。
「こんな嫌なことをされた!」
「あなたはわたしの理想の人♪」
このように相手が主になっていると、
嫌なことをされたと氣分を害したり、
他者崇拝してしまうかもしれません。
それが悪いと伝えたいのではありません。
相手が主になっている状態を
自分を主に還すことで
物事の捉え方を変えることができる
という視点があることを
まず最初に伝えておきたいのです。
具体的には、
「わたしはこういうことをされると
嫌な氣持ちになるのだな。」
とか
「あの人のここを素敵と感じているのは、
その魅力がわたしにも内在してると
教えてくれているのかもしれない。」
と捉え直すこともできる。
「自分を主にする」とは、
自分だけを正しいとすることではありません。
出来事の原因を
すべて他者へ預けるのではなく、
自分の内側で何が起きているのかを、
自分で観るという視点です。
○事実を曇らせるもの
先日参加した読書会では、
事実とそれにくっついた個人的解釈について
互いに意見を交わしました。
相手や状況を思い通りにしたいという欲求が
「実際に何が起きたのか」を見えにくくすること
自分の解釈を事実そのものだと思い込み、
相手や出来事に自分の心を預けることで
自分以外のものが「主」となることを
共有し合いました。
だから現実に不具合が起きた時には、
その事象に乗っかっている解釈を外し、
事実を明確にするといいよね。
というところに着地し、
氣兼ねなく意見を出し合える対話の中で、
有意義で心地よい豊かな時間を愉しんだのです。
○対極を消さず、共に在る
あなたは何を主に生きていますか?
他人軸で生きるのをやめ、
自分軸で生きよう。
と語る人は多くいます。
今日はここをもう一段、深めていきます。
他人軸だけに偏ってきたのなら、
その軸を自分に還すことで
内なる心の彩りに寄り添えるようになる。
自分軸だけに偏ってきたのなら、
他者の立場を受け容れることで
まわりへの優しさや寛容さが溢れてくる。
どちらが正解という枠から離れ、
偏りのないバランスの取れた
中庸の状態が最も安定すると思うのです。
もっというと、
ここで重要になってくるのは、
宇宙の原理を知っているのか?
という前提です。
今、わたしが学んでいることの根底に、
大和の祖から継承されてきた
「普遍の原理」があります。
三種の神器やアーク、
そしてカタカムナにも、
同じ構造「型」があるのです。
この世界は、宇宙の原理の相似象、
フラクタル構造で構成されています。
全ては、
ひとつのアルゴリズムでできている
それが相似象という意味です。
つまり法則で観ていくと、
他人軸をやめて自分軸にするといい。
というところから、もう一歩進み、
自分軸と他人軸のように、
互いに対となって現れるもの
対向発生するものを
どちらか一方へ統一するのではなく、
綾なし、共に在る
(綾なし――異なるものを異なるまま織り合わせ、共に在らせる)
交互に息を吸って吐くように
折り合いをつけるのです。
矛盾する要素を織り交ぜ、
主従関係を保ちながら円満へと導く。
この対極するものが、
稲荷古伝でいうと
「火と水」の関係 にあたります。
一見 相反する要素を調和させることが、
新たな創造や問題解決を可能にするのです。

○順流──原理に沿って生きる
普遍の原理に沿って生きることで
流れは整いやすくなる。
逆に、原理から外れてしまうと
どこかに歪みが生まれる。
順流とは、原理に沿って生きること
逆流とは、原理に抗って生きること
「宇宙に応援される」とは、
流れに抗うことなく生きることです。
この普遍の原理を無視し、
自己中心的な思いを軸に正しさを語ることは
危ういこととなる。
複雑に観えるこの世界も、
その奥には、繰り返し現れる「型」がある。
今、その型を学んでいます。
知れば知るほど、
答えよりも深い問いが生まれてくる。
だからこそ、
その奥をこの眼で観たいのです。
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